先師 劉公雲樵肖像 1970年代 我々の先師 劉公雲樵先生は「武壇」の二文字を名前にした武術雑誌を創刊されました。この「武壇」と言う名前は、決して武術を学ぶ人間や武術界の人々が集う所…という意味ではありませんでした。それは武術を嗜む人々が目標とする、更に一層の高みという意味でした。
  先師は常々、伝統武術の地位を、一般の学問と比肩するところまで高めたいと考えて居られました。本来の伝統武術の内容は非常に豊富で、科学などの学問に劣ることは無いからです。しかし、一般的に武術と言うと、只単なる戦闘方法という印象しか有りませんでした。これは完全な誤解です。従って先師は伝統武術を更なる高みへと登らせ、「武壇」「武学」という二文字を使って啓蒙し、推廣しようと提唱したのです。
武壇雑誌 創刊された武術雑誌に「武壇雑誌」、武術訓練所に「武学研究社」と名前を付けました。しかし、「武壇雑誌」は主に経済的な理由で停刊し、武術訓練所としての「武学研究社」が残りました。
 後に大学生、専門学校生、高校生への推廣にあたって、「武学研究社」を「武壇國術推廣中心」と改めました。
  先師は「壇とは一段高くなっている所であり、我々は伝統武術をその高みへと登らせる努力を惜しまず、同時に武術を只の方法としてだけではない武学へと高めて行かねばならない」と言われていました。

 これが「武壇」の謂われであり、我々武壇國術推廣中心会員の持つ理念です。武術を「武学」に…と言っても、それは決して武術を学問化するというのではありません。 先師は「武術はそのものが一つの学問である」と常々言われていたのです。
 「武学」こそ、我々武壇の人間が体得し、学習研究しようとする目標なのです。



  在民國60年代(1970年代) 先師劉公雲樵先生創刊武術雑誌時、 先師把「武壇」二個字用在雑誌的名字。
 這「武壇」名字、絶不是練武人所集的地方、或「武林」的意思、而是練武人所作目標的一層高次地方的意思。
  先師一直想把中国伝統武術的地位要提高到学問一般。因為伝統武術本来就有好豊富之内容、絶不劣科学等学問。而一般来説武只是個打闘之方法的印象。這是完全的誤謬。所以 先師提唱把伝統武術提高到某一個階段、用来「武壇」和「武学」両個名字啓蒙、推廣。
 創刊伝統武術之雑誌時用「武壇」、而伝統武術訓練所時用「武学」。但「武壇」雑誌、因有経済性関係停刊、只剰下了伝統武術訓練所「武学」研究社。
 後来要推廣到大専院校時、「武学研究社」的名字改為「武壇國術推廣中心」。
  先師説「壇」是一個高層的地方。要把「武術」提高到「壇」、同時「武術」変為「武学」。