先師 劉公雲樵師肖像 河北省滄洲東南郷集北頭鎮の劉家に、劉保徳の長子として1909年陰暦2月8日に誕生。幼少より、祖父・子鏡の身辺警護をしていた保鏢・張耀庭より古伝の太祖、燕青門の武技を学ぶ。
 長ずるに及んで北方三省で馳名であった神槍・李書文を家に招き、その八極、劈掛、六合大槍の精華を悉く得る。後に李師と共に山東省に遊歴し、各地で比武を行い全勝であったため「山東小覇王」の称号を得る。
 山東省黄県に駐屯する北洋軍閥第五路総指揮官・張驤伍将軍の元に寄宿し、同地の蟷螂門名師・丁子成、及び八卦門名師・宮寶田より全伝を得る。
 抗日戦と共に入隊し、各地を転戦。同時に各地で武術名家と交流し、多くの技術を習得、上海にて黄甫軍官学校に入校後、国民党中央にて特殊部隊に配属される。
 国民党の台湾移転に同行して台湾移住後は、総統府自衛室自衛隊最高教官の役職に就き多くの教練を育てると共に、在野では伝統武術の復興を願って、「武壇雑誌」を刊行し「武學研究社」を設立して普及に尽力する。
先師 劉公雲樵師 八極拳台湾の大学、専門学校、高校、中学等の國術社(武術クラブ)に教練を派遣し、武學の推廣と武徳の発揚、そして伝承維持に努めると共に、武學研究社から発展した「武壇國術推廣中心」にて多くの弟子を育て、国内外に支部を設立する。
 1992年、台北市にて逝去。主な著書に「八極拳」「昆吾剣譜」「昆吾剣譜続集」「養氣還原」等がある。